一人で1時間も公演するのはかなりしんどいのです。見ている方も同じくしんどい。そこで何か動物の手を借りよう、と思いついたのがサルです。おもちゃ屋に手頃なオランウータンが売っていたので何匹も購入、まずはシンバルを持たせたサルから製作、その後ドンドン増えてご覧のような形になりました。楽です、1時間のコンサートが。皆サルを見ていてくれるので気が紛れるのです。笑ってくれるし。
笛吹き九兵衛 うちあけ話
私が笛吹きになるまでの、あまり人に言えない話です。
◆ああ、協力隊
何を隠そう私は元土木技師なのです。営業で「こう見えても私は元土木屋なんです」と言ったら返ってきた答えが「どう見たって君の顔は土木屋だよ」・・・・???
たまたま専門学校にうかってたまたま土木工学科に入った、というだけの事です。卒業したら、たまたま受けた試験がうかって土木技師に、浮かない、さえない顔で毎日仕事をしていたある日、うーん、やっぱり夢を持たなくちゃいかんな、と思い海外協力隊を受験、たまたま(なんでしょう)うかって、どの国でもいいや、と思っていたら、学生時代に始めたケーナの祖国ペルーにたまたま決まってヤッター!!。勇んで行ったはいいが、やることなすこと殆どが空振りに終わって完全な不完全燃焼(?)、もういいや、笛吹いて過ごそう、と言うことにして現地の人とグループ組んで街頭で演奏していたのです。ケーナチャランゴを手にして、街角で演奏する、3人だけでは手が足りないだろうに、といった感じのグループに声をかけました。
「おお、あんた中国人のくせにワシラの音楽が出来るのか」・・・・この国では東洋人は皆チーノ(中国人)なのです。我々が南米の国々をよく知らないと同様、ペルーの皆さんもよくアジアの事はご存じないのです・・・・
と言うわけで仲間入り。週末には街頭で演奏。レストランにズカズカと勝手に入り込み勝手にジャカジャカ演奏、勝手に投げ銭をもらい、客にビールをご馳走になり、なんて気楽でいい性分の国なんだ、と羨ましくも感じたペルー滞在でした。(日本のODAを使って、こんな事をしていた不届き者なのであります)
旅先の町で色々な大道芸人を見ました。アマゾンの大蛇を体に巻き付けながらヘンな踊りをする怪しげなクスリ売り、盲目のハープ弾き、バイオリン弾き、ケーナ吹き、交差点の真ん中で日を口から吹く芸人・・・・
いろいろな芸人の中で私が一番印象に残っているのは、ワンマンバンドのおじさんです。足で太鼓を叩き、マンドリンを弾き、右手にピックと同時にバチを持ち、それで小太鼓を叩きシンバルも叩き、口にはハーモニカ、見事でした。あの姿は今でも忘れません。この芸人が私に大きな影響を与えたことは言うまでもないことです。
2年の協力隊活動を終えて何事も無かったように「土木技師」に戻ったのでした。
◆「おじさん、もう帰ってもいいんだよ」
10年ほど前土木技師をやめて、ボー、と毎日を過ごしていた時、近くの保育園から「園に来て笛を吹いてもらえませんか」と依頼が。幼児の前で吹いたことはなかったのですが少し興味があったので「経験不足で1時間も出来ませんが30分くらいなら」と言うことでその保育園に行きました。当時は数本の笛しか吹けなかったので鞄一つで出かけました。今の大荷物と比べるとなんと楽だったのでしょうか。100人前後の園児がリズム室に集まりました。
少々の緊張の中、挨拶をしてケーナを吹き始めました。何を吹いたかよく覚えていませんが、園児達が静かに聴いていてくれたのは最初の5分でした。ムズムズが始まり、横とつつきあい、寝転がってゴロゴロ・・・・リズム室が運動会と化すにはものの10分とかかりませんでした。一生懸命に吹きつつ、ふと気がつくと目の前は追いかけっこ大会。保育士の皆さんもお手上げ。時計を見るとまだ10分しかたっていない。30分という約束なので、時間よ早く進め、と悲壮な思いで念じつつ、笛を続ける。しばらくすると追いかけっこから一人の男の子がこちらへやってきて一言「ねえ、おじさん、何やってるの??」。一瞬金縛り、しかしながら「ムムムッ、あと15分だっ」と吹き続ける、しばらくするとまた同じ男の子がやってきて一言「ねえ、おじさん、もう帰ってもいいんだよ」・・・・・
吹き続けるエネルギーはもはや残ってはいませんでした。さながら新進プロレスラーのデビュー戦、張り切って相手にドロップキックを浴びせたのはいいものの、その後はいいところなく悪役レスラーにもてあそばれ血だるまにされ15分でノックアウト、なんていう場面が自分と重なります。しかしながらこれが私自身の芸人第1歩であり記念碑的出来事であったのです。これがあったからにんじんチクワふえができあがったのです。続きはまた。
(2004/12・13)
◆チクワが鳴った
保育園公演が15分で崩壊し、うなだれて帰ってきたのですが、終わったことはどうしようもない、経験もなかったし、と自分を納得させ、一杯始めました。つまみにチクワを食べていたところ、当たり前なのですが、チクワには穴が通っている、これを笛に出来ないかと、なぜ今まで考えなかったのかとさえ思うことが頭に浮かんだです。早速チクワの端をはさみで切ってケーナ風の歌口を作り、口に当て一吹き。な〜んだ、こんなに簡単に音が出るのか。次のにんじん笛を作ろうと言う発想に至るまでにはさほど時間はかかりませんでした。空間があれば、あるいは穴をあけて空間を作れば色々な物が鳴ってしまうんだということが十数年笛を吹いてきて始めて判ったのです。それ以来色々な素材で試してみたのです。こんにゃく、かまぼこ、サツマイモ、大根、カボチャ等々。次の保育園公演にはにんじんとチクワを携えて行ったのは言うまでもありません。今から10年ほど前のお話でした。
(2004/12・18)
◆世界的チクワ笛奏者
チクワが鳴った、にんじんが鳴った、でもあらかじめ作っておいたのでは疑わしく思われてしまう。そこで
その場で加工することに。チクワははさみで切るだけだから比較的簡単、問題はにんじんです。ほじって指穴をあけていたのでは5分も10分もかかってしまう、そこで尺八式のメリカリの技法で音程を変えることに、2〜3センチにほじってから尺八式の歌口に切って、口を慎重につけて、微妙に角度変え練習したとおりにチョウチョを吹き・・・・・と言うわけにはいかないものです。ほじって口を付けたはいいものの、音がさっぱり鳴らない、焦れば焦るほど、顔はひきつり口はこわばり、冷や汗たらたら。「おじさん、なにやってるのー」の場面の再現です。でもうまくしたもので回数を重ねればコツは体得できるもの、今では世界的チクワ笛奏者を自称してます。
(2005/7/20)
◆史上最高の鼻笛奏者
にんじんチクワ笛は苦労しましたが鼻笛はトントン拍子でした。あるところで中国に伝わる鼻笛を見て、吹いたところ簡単に音が出たので、これだ、と思い早速自分で作ったのでした。吹き口だけ真似て、あとはケーナと同じ。最初からいい音が出たのですが、簡単な物はすぐ飽きてしまうのが常です。でもある日あることに気づいたのです。鼻笛を1本で片方の鼻の穴から吹くともう片方の穴から空気が漏れてしまう。それはもったいない、と言うことでもう1本作って両刀遣いで吹いたら見事にハモって、奇っ怪な吹く様も相まってにんじんチクワ笛に次ぐヒット作となりました。自称「史上最高の鼻笛奏者」・・・・史上最高のケーナ奏者になりたいのですが、100年かかっても無理でしょうなあ。
(2005/8/1)
◆チンドンセットの発明
チクワが鳴った、にんじんが鳴った、鼻笛吹いた、でもそれで終わったら寂しい物があります。何かパーカッション類をと思い、持っていたアンデスの太鼓ボンボに足踏みペダルを付けて笛を吹きながらドンドコドンドコ。でもなんだかケッタイな姿なんだろうなあ、いやケッタイならばいっそのこともっとケッタイにやってやろう
と言うことで、どこかで話だけは聞いたことのある担ぎ太鼓を作ってやろうと思い立ったのです。背負子の太鼓付けてバチにヒモを付けて仕掛けを作り、そのヒモを足に付けて歩きながらドンドコやって笛を吹く、よしこれでキマリだ、とまだ何も出来ていないのに喜び勇んで頭の中で設計図を描き始めたのでした。
詳しくは「チンドンセット秘話」にいずれ書きます。(2006/1/2)
⇒ちんどんセットの話はこちらをご覧下さい。
◆サルバンドの制作
一人舞台というものは、仮にいくら面白いことが出来てもだんだん飽きてくる、(見る側も、自分も)ということが分かってきまして、これは何かに手助けをしてもらわねば・・・でも適役はいないし、経費もかかる、では猿の人形に手伝ってもらおう、と発想したのです。人形を作る技がないので手っ取り早く猿のぬいぐる
新サルバンド
機能性を増すために2007年に完成した新バンド、まだ進化します
旧サルバンドト
15年ほど使いましたが新しいバンドにバトンタッチ